Vertical AIという新たな枠組みに迫る 〜OpenAIやSalesforceに屈しない競争戦略のヒント〜

ワークフローが標準化されづらい日本の業務現場には、Vertical AI(=業界特化型AI)が輝く余地が残されています。今回は、大手/既存プレイヤーに屈しない新たな勝ち筋のヒントを探ります。
小林 コウ 2025.01.14
誰でも

ここ1~2年、生成AIの急速な進化がソフトウェアビジネス全体を大きく揺さぶっています。

OpenAIは汎用モデルを高速に進化・普及させ、Salesforceのような老舗巨大SaaSプレイヤーは既存顧客基盤を活かして新たな生成AIプロダクトを新興スタートアップに負けない早さで市場投入しています。

こうしたスピード感と資本力の前に、「何を作っても、あっという間に大手に追いつかれ、プロダクトがすぐ陳腐化してしまうのではないか」と不安を抱く起業家も少なくありません。

今回のニュースレターでは、こうした懸念に対して「Vertical AI(=業界特化型AI)」という枠組みに着目し、大手SaaSプレイヤーや汎用モデルプレイヤーに簡単には飲み込まれない勝ち筋があるのか、その戦略的なヒントを2回に分けて探っていきます。

若干抽象的な内容にもなってしまっているかと思いますが、このニュースレターを読んで「自分はこう思う!」「こうしたら生成AIスタートアップとしてユニコーンになれそう!」などの意見が私まで寄せられることを楽しみにしております!

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目次

  • Vertical AIとは?

  • SalesforceとVertical AIはそもそも本質的に真逆の構造をもつ

  • 日本でSaaSの浸透を阻む障壁と生成AIのポテンシャル

  • 産業史に見る日本のカスタマイズの底力

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Vertical AIとは?

前回のニュースレターでは、米国の生成AIスタートアップシーンで「業界特化型」のアプローチが一つのトレンドになりつつあることをお伝えしました。

足元、米国の市場では、局所的にはSalesforceが業界特化型生成AIプレイヤーに負けるということが米国では起こり始めており、今回は従来型SaaS企業と生成AIスタートアップの構造的な違いに着目し掘り下げていきます。

OpenAIに負けるな。Horizontal AIからVertical AIへの進化の鍵は?

GPTのような汎用的な生成AIモデルは、あらゆる領域に対応できる「幅の広さ」を持つ一方で、その「深さ」に課題が残ります。特に「ドメイン知識」と「ワークフロー」の2つの観点で、汎用モデルは限界に直面することとなります。

意外とこの「ワークフロー」の理解という論点が抜け落ちて、ドメイン知識こそ競争優位の源泉「Data is King」という論調が多い気がしますが、2つの観点が揃ってこそ優位性がある事業になっていくのかなと考えております。

料理する際の「材料」にあたる「ドメイン知識」

まず、ドメイン知識の観点です。

汎用モデルは膨大なテキストから一般的な知見を得ることには優れていますが、特定業界が長年かけて築き上げたローカルなルールや慣習、外部にはほとんど記録されていない優先順位づけには対応しづらいです。

たとえば通関業務では、港湾ごとに入港制限や関税処理ルールが微妙に異なり、その違いが実務上のボトルネックを生み出します。こうした情報はネット上で体系的に公開されていないことが多く、汎用モデルにとって「隠れた文脈」となります。その結果、汎用モデルは表面的な回答こそできても、現場特有の戦略的判断を下すには力不足と言えるでしょう。

料理する際の「レシピ」にあたる「ワークフロー」

次に、ワークフローの観点です。

業務現場には、単純なタスクの羅列ではなく、独特の工程順序、ヒト・モノ・カネの流れ、タイミングや権限管理など、複数の要素が絡み合う複雑なフローが存在します。

汎用モデルは、入力された質問に対してテキストを生成することは得意ですが、「どの担当者がいつ、どの情報を受け取り、次に何をすべきか」といった動的な工程管理まで踏み込むことは想定されていません。そのため、たとえOpenAIが持つ汎用モデルを組み合わせて、ワークフローに適用しようとしても、個別のステップをサポートする程度にとどまり、全体を継続的に最適化するワークフローの再構築には適しません。言い換えれば、汎用モデルは「問いに対する一般論」を提示できても、現場で連鎖的に起こる意思決定や調整作業を俯瞰し、的確に業務を遂行するまでには至らないのです。

「素材」と「レシピ」が揃ってようやく良い料理が作れる

この二つの限界の突破口を開くのがVertical AIです。事前にドメイン知識を学習することで、汎用モデルでは対応しにくかった専門的判断やローカルルールへの対応が可能になります。同時に、ワークフローを理解し、各ステップで必要なアクションや情報伝達を自動的に提案することで、全体的なワークフローの最適化も実現します。

「良い材料」と「良いレシピ」が揃ってはじめて良い料理ができるように、業界を深く理解するための「ドメイン知識」と特有の「ワークフロー」を理解してこそ、OpenAI等モデルレイヤーの巨人が持つ汎用モデルが苦手とする「深い文脈理解」と「動的なワークフロー管理」を強みとし、各業界で現場が本当に求める価値を的確に創出できるのです。

特定の業界に特化させることでスタートアップがモデルレイヤーの巨人に打ち勝つヒントを述べたところですが、以降ではSalesforceのような既存のSaaSプレイヤーに対抗するための戦略を探っていきたいと思います。

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SalesforceとVertical AIはそもそも本質的に真逆の構造をもつ

Salesforceのような巨大SaaSプレイヤーは、標準化された機能群と共通の業務モデルを前提に、幅広い企業へ効率的にサービスを提供してきました。その強みは、あらゆる顧客が同一のプラットフォーム上で共通のプロセスを享受し、スケールメリットを実現することにあります。

「標準化された機能を多くの企業が共通利用できる」という構造は、長年にわたってSaaSモデルの優位性の源泉となってきました。

そんなITの巨人に対して、「これだけの顧客を抱え、日々膨大な取引情報を蓄積しているSalesforceは最強なのでは?」と考える方も多いでしょう。しかし、そのデータと機能はあくまで標準的な業務プロセスを前提に収集・設計されている点に注目し、本当に生成AIと相性が良いのか?を再考する必要があります。

標準化 vs カスタマイズ

Vertical AIは、初期からローカルなルールや暗黙知、動的なワークフローを前提として設計され、顧客側が業務プロセスを標準モデルに合わせるという発想ではありません。むしろ、そのカスタマイズ性と柔軟性こそが最大の価値であり、現場固有のニーズや突発的な変動要因に即応できる点が強みとなります。

つまり、標準化を強みにしたSaaSと、カスタマイズ性を強みにしたVertical AIが、本質的に真逆の特性を持つというのが私の考えです。SaaSは「一律の型」への適合を想定しているのに対し、Vertical AIは「その場その場で形を変える」柔軟さを重視する構造です。両者を同時にうまく成り立たせることは容易ではなく、SaaS企業が従来の強みを生かしながら、特化型AIの世界観を取り込もうとすると、整合性を取るために大幅な再設計や組織的な方向転換が求められます。

結果として、標準化の恩恵で市場を制してきた巨大SaaSプレイヤーは、初期こそ既存の顧客基盤やデータを強みに絶対的有利に見えるかもしれませんが、Vertical AIが強みとするカスタマイズ性とSaaS従来の標準化の思想のギャップが埋まらない限り、生成AIネイティブなVertical AIスタートアップへの優位性は徐々に薄れていってしまうものだと考えられます。

現に、The Informationによると、局所的にはSalesforceが業界特化型生成AIプレイヤーに負けるということが米国では起こり始めています。同社CEOのベニオフ氏以下のように語っていることとも踏まえると、この事象に対して相当危機感を覚えていることが伺えます。果たしてSalesforceはイノベーションのジレンマに打ち勝てるのか注目です。

「私たちは完全にエージェントファーストの会社になりたいと考えています。私たちが行うすべての取引や開発するすべての製品において、エージェントファーストであるべきです。」

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日本でSaaSの浸透を阻む障壁と生成AIのポテンシャル

日本のSaaS市場は近年着実に成長し、導入率や認知度は確実に高まっています。弊社の投資先の中にも、SaaSモデルで急成長を遂げているスタートアップが多く存在し、既存プレイヤーも十分な成果を上げている分野が少なくありません。

それでも、米国ほどの爆発的普及が起きていないと感じる方もいるのが現状です。欧米ではSaaSが標準業務プロセスの受け皿となり、迅速にスケールしていきましたが、日本では同様の現象が欧米に比較して起きていない傾向にあるかと思います。

なぜでしょうか?

繰り返しになりますが、SaaSの基本的な理念は、複数の顧客企業が同一のソフトウェア基盤を共有し、ほぼ同じ機能セットや更新サイクル、サポート体制のもとで利用することにあります。これを裏返せば、SaaSモデルの成立には、ユーザー側がある程度共通化・標準化された業務プロセスを持っていることが前提となります。

従い、標準化を受け入れる下地が整っていない環境では、SaaS本来の強みが十分に発揮できず、期待ほど普及しない要因となり得るのです。

これはあくまで私の見方にすぎませんが、以下に挙げられるような日本特有のビジネス慣行や文化的要因が影響し、業務プロセスの標準化が難しくなっており、結果としてSaaSの爆発的普及を阻害しているのでは?という仮説が立てられます。

  • 終身雇用制度 
     終身雇用制が長年続く中、特定の担当者が築いた独自のワークフローが個社ごとに構築されやすい(⇄欧米では転職を前提としているため、ある程度会社を跨いで標準化されやすい)

  • お客様第一主義 
     顧客ごとのカスタマイズ対応を常態化させる傾向にある

  • 暗黙知の継承 
     トヨタ社の『カイゼン』にはじまるように、日本では各担当が創意工夫をし、更にその暗黙知が対面コミュニケーションや経験則で伝承される(もしくは伝承すらされない)

その結果、多くの企業は「SaaSを有効活用できる水準まで自社の業務プロセスを標準化・最適化できない」状態に陥りがちで、SaaSが本来持つ生産性向上やスケーラビリティを十分に引き出せないのではないか?といった具合です。

こうした構造的課題が、日本でSaaSが期待ほど浸透しなかった理由の一つとして考えられます。

SaaSが浸透しきらなかったからこそ秘める「Vertical AI」の可能性

こうした標準化困難な構造は、SaaSが本来発揮できるはずの生産性向上やスケールメリットを引き出しにくくしました。しかし、この状況はVertical AI(=業界特化型AI)にとっては逆に好都合な土壌になり得ます。なぜなら、Vertical AIは初めからローカルルールや複雑なワークフローといった標準外の要素を前提として設計できるからです。

従来のSaaSモデルは、業務プロセスの共通点を抽出し、そこに顧客を合わせることで効率化を図ってきました。それに対し、Vertical AIは、そもそも標準化を要求しません。むしろ、顧客企業がそれまで築いてきた固有のワークフローや暗黙知を、最初から飲み込む発想でサービスを提供できます。つまり、「標準化できない」こと自体が、この特化型アプローチを受け入れやすい条件を生み出しているのです。

標準化が難しい日本特有の業務環境だからこそ、標準化に依存しないVertical AIがスムーズに浸透する可能性があるのでは、という見方が成り立つわけです。

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産業史に見る日本のカスタマイズの底力

最後にコラム的に日本の産業史を振り返りながら、カスタマイズという性質を持つ生成AIと日本の市場が相性が良い理由を探っていきます。

日本の産業史を振り返ると、グローバルスタンダードを追求するアメリカと比べ、日本が独自に築いてきた柔軟性と多様性を尊重する姿勢が、多くの分野で成功を収めてきたことがわかります。以下では、自動車産業、IPコンテンツ、そしてアイドルの視点からその特性を掘り下げていきます。

① 自動車産業 | トヨタ vs フォード

まずご紹介するのは、日本の主力産業である自動車産業。EVや自動運転等の次のトレンドが発生しているこの市場で、この比較は古いかもしれませんが、標準化を強みにするフォードとカスタマイズ性を強みにするトヨタの比較は一つヒントになるかもしれません。

米国のフォードが1910年代に確立した大量生産方式は、ベルトコンベアによる単一車種の大量生産でコストを下げ、一気に市場を取りにいくものでした。一律に同じモデルを製造し、国民の多くがそれを買い求めることで一気に普及する、まさに標準化のメリットを最大限に活用した成功例といえます。

それに対して、日本のトヨタはトヨタ生産方式に代表される効率的かつ柔軟な生産方式を打ち立てました。グレードやカラーバリエーションを豊富にそろえ、顧客が「欲しいと思う一台」を選びやすい体制を整えたのです。必要な部品を必要な量だけ生産・供給する「ジャストインタイム」も含めて、細やかな対応による品質向上とカスタマイズ性を両立させてきました。

② IPコンテンツ | ディズニー vs 少年ジャンプ

次に米国と日本のそれぞれで生まれたIPコンテンツを見ていきます。

米国のIPコンテンツの代表格といえば、やはりディズニーでしょう。巨額の予算を投じて制作されるアニメーション映画やテーマパークは、基本的に「誰にでも愛される普遍的な物語」を目指しています。ストーリー展開やキャラクター造形はシンプルで明快、子どもから大人まで楽しめるように設計されており、世界中で愛されるブランドとなっています。これは、世界基準のフォーマットを確立し、それを大規模に発信するアメリカらしい戦略が反映されています。(ハリウッド映画もこの考え方です)

一方、日本の漫画・アニメ文化は、いわゆるカスタマイズ性に富んでいる点が特徴的です。少年ジャンプをはじめとする雑誌に連載される作品は実に多彩で、それぞれに熱狂的ファン層が存在します。中には特定ジャンルに特化した作品や、ニッチなテーマを扱うアニメも数多く生み出されており、ユーザーが自分好みのコンテンツを見つけやすい環境が整っています。

加えて、諸外国に比べて日本ではメディアミックスを重視する傾向があり、一つのIPコンテンツでも漫画、アニメ、映画、ゲームに限らずお菓子のおまけにまで日常にメディアミックスが浸透しています。これらの背景も踏まえて、日本では大量生産・大量消費の枠組みではなく、自分だけの「推し作品」や「推しの形」を探していくカスタマイズの文化を醸成しているといえるでしょう。(詳細は、マーク・スタインバーグ著『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』をご参照)

③ アイドル | テイラー・スウィフト vs AKB48

アーティストやアイドルの文脈でも、アメリカの完成度と日本の“推し文化”で同様の構図が見られます。

アメリカでは、実力派シンガーやダンサーなど「完成度の高いエンターテイナー」が大成功を収めることが多いです。例えばビヨンセやテイラー・スウィフトのように、確立したブランドイメージや高水準のパフォーマンスによって世界的な人気を獲得し、まるで「商品のパッケージとして既に完成している」かのように見えます。ここでも“ベスト・オブ・ベスト”を追求する標準化志向が感じられます。

一方、日本のアイドルはAKB48に代表されるように、大人数のグループを編成し、その中から自分が応援したいメンバーを「推す」楽しみがファンに委ねられています。要するに、受け手が「自分流にカスタマイズして楽しむ」文化なのです。一見同じグループに見えても、メンバーごとにキャラクターや得意分野が異なり、それぞれが「推し」となる可能性があります。最大公約数を志向する標準化的なアプローチではなく、一人ひとりに最適化された応援スタイルを提供しようとする日本特有のアプローチと言えるでしょう。

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まとめ

米国は世界的なプラットフォームを構築し、高水準かつ一律化された「誰にでも受け入れられる価値」を追求してきました。一方、日本は多品種少量生産や推し文化など、より細やかな柔軟性と個人の嗜好に合わせた最適化を得意とし、「一人ひとりが特別感を得られる価値づくり」に注力してきました。この違いは、大衆向けの明快なフォーマットを持つディズニー作品と、ニッチなジャンルや熱狂的ファンを生みやすい日本の漫画・アニメに始まり、大量生産方式を確立したフォードと、カイゼンやかんばん方式など柔軟な生産を得意とするトヨタ、そして完成度の高いエンターテイナーを売り出すアメリカのアイドルと、推しを選び楽しむ日本のアイドルの対比にまで、幅広く表出しています。

IT産業では、米国で生まれたSaaSが「高水準かつ一律化された標準品」の最たる例です。一方、生成AIがもつ「ユーザーの意図や業界要件に合わせて柔軟にアウトプットをカスタマイズできる」特性は、SaaSの特性とは逆の特性を持っており、まさに日本の強みと合致するのです。

今回のテーマであるVertical AIに紐づけると、まず注目すべきは製造業等が持つ「職人技」や「おもてなし精神」など、日本の各業界の特化型ノウハウ(=ドメイン知識)です。例えば製造業では、複雑な設計データや工場での微妙な機械の異変を考慮した特化型AIが、現場の職人技を補う形で品質向上やコスト削減を実現できるかもしれません。医療分野では、それぞれの病院や診療科の特徴を反映した患者説明AIや診断サポートAIが大いに活躍する可能性があります。

次に注目すべきは、日本企業が持つ、画一的なシステムには馴染みにくい業界ごとの細やかな運用スタイル(=ワークフロー)です。標準化された海外製ソリューションではカバーしきれなかった独自の業務プロセスや、地域特有のニーズに対しても、生成AIならオーダーメイドともいえるアプローチで対応が可能になるからです。

このように、日本のカスタマイズ文化と生成AIが持つ柔軟性が結びつくことで、従来のIT産業を形作ってきた標準化による大量消費モデルとは異なる新たな産業構造が形成される可能性があります。日本国内でサービスの浸透が他国より早いだけでなく、ニッチなファンや需要を獲得しやすい独自性を武器に、グローバル市場へ打って出られるチャンスもあるかもしれません(とはいえ私の手元にアイデアはなく、アイデア募集中です!DMください!)。

これまでの日本の産業史が示してきたように、「大衆にとってのベスト」ではなく、「一人ひとりにとってのベスト」を追求する視点こそ、生成AIの真のポテンシャルを引き出す鍵であると考えます。そして、その視点こそが、日本をグローバル市場で再びリードする産業を生み出す大きな手がかりになるのかもしれません。

次回は、具体的な事例をもとに市場への参入方法や市場規模の拡大戦略に焦点を当て、競争戦略のヒントを深掘りしていきます。ぜひご期待ください!

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