生成AIと相性の良い領域の見つけ方 〜「人間がやっていないタスクを探せ!」曖昧さの許容と新市場の開拓〜
生成AIの登場後、「学歴が高く、給料が高い人ほど、生成AIに仕事を奪われるリスクが大きい!」といった主張を目にすることがしばしばあります。下記にて引用しているマッキンゼーのレポートでも、学歴が高く、給料が高い人々の仕事ほど、生成AIによる自動化のポテンシャルが高いと指摘されています。
給料の高い職業の多くは、情報の非対称性を活用し、その知識の希少性を武器に高い報酬を得ていることが背景にあります。
たとえば、弁護士という知的労働に注目してみましょう。豊富な知識や経験を持つ弁護士は、六法全書や判例といった非構造化データを深く理解し、それを活用することで高い報酬を得ています。このデータの取り扱いや経験の積み重ねは一朝一夕に習得できるものではなく、弁護士という職業の希少性を支える要因となっています。
しかし、生成AIが進化し、非構造化データの取り扱いが容易になり、その知識が広く共有されるようになった場合、弁護士の仕事の価値は、知識の蓄積という観点から低下する可能性があります。この現実を無視することはできません。
確かに、こちらの主張については、長期的に見れば正しいと考えられます。弁護士や会計士、コンサルタントといった、情報の非対称性を活用したビジネスは、非構造化データの取り扱いが容易になった生成AI普及後の時代において、自動化の影響を受けやすいことは納得できる主張と言えます。
しかし、2024年現在の生成AIの黎明期において、これらの分野、すなわち、「高給取りの人々の仕事を自動化するような領域」で直ちに事業を起こすことに対しては、私は少し懐疑的です。
その理由は、生成AIの現状の精度にあります。
生成AIは偏差値70の新入社員
現在の生成AI技術は、まだ100%の精度を実現するには至っておらず、よく偏差値70の新入社員に例えられます。簡単な作業についてはそれっぽいアウトプットは出せるが、一定以上の難易度のあるタスクについてはしっかりと教育してあげなければ間違えてしまいます。
しかも、生成AIは人間と違って間違うことへの恥じらいがないので、堂々と間違います。生成AI的な用語で言うといわゆる「ハルシネーション」が発生することがあります。プロンプトエンジニアリングやファインチューニング(=教育)で精度を向上させることは可能ですが、それでも現在の技術では限界があるのが現実です。
ハルシネーション(Hallucination)とは?
ハルシネーションとは、チャットAIなどが、もっともらしい誤情報(=事実とは異なる内容や、文脈と無関係な内容)を生成することを指す。AIから返答を受け取った人間が「本当かどうか」の判断に困るという問題がある。この問題を回避する方法として、独自の情報源を付与するRAGや、Webアクセスを含める機能などがある。
このような現状を踏まえると、高い品質のアウトプットが求められる高給取りが遂行する高度なタスクを100点満点で回答することは難しく、黎明期においては、生成AIの出力が70点から80点の精度で許容される領域、つまり、「曖昧さが許容されるタスク」を見つけることが非常に重要だと思います。
もちろん、長期的に高給取りが遂行する高度なタスクと生成AIの相性は良いので、技術の進歩がどのレベルまで到達したらそれらのタスクを自動化できるのかは念頭におく必要があるかなとは思います。
曖昧さが許容されるタスクを見つけるためのレンズ
ここまでつらつらと述べて来ましたが、読者の皆様はこんなご意見をお持ちかなとお察しします。
「生成AIと相性良いのが曖昧さが許容される領域というのはわかっているから、それがどこなのか具体的に教えてくれ!」
ということで、以下では曖昧さが許容される領域やタスクの事例をいくつかご紹介いたします。
一方、ただ単にそのようなタスクを列挙するだけでは面白みに欠けると思いますので、どうやってその70点から80点の精度の曖昧さが許容されるタスクを見つけるのか、という視点や考え方についてもご紹介したいと思います。
まず生成AIの経済インパクトを2種類に分類してみる
またまたマッキンゼー様のレポートの図を参照します。
生成AIによる経済インパクト7.9兆円は、大きく以下の二つに分けられます。
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新たな収益機会創出による、売上増加(外側の三日月の部分)
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生産性向上による、コスト削減(赤枠した円の部分)
赤枠で囲まれたコスト削減がインパクトの大半を占めていて、新しい売上創出の機会は全体から見ると限定的であるというのがマッキンゼーの見解です。
After生成AIの世界では、生成AIによって切り開かれる新しいマーケットはそこまで大きくなく、VC、スタートアップ、事業会社それぞれの立場に問わず、生成AIでどう既存産業のワークフローを再定義して生産性を向上されるかというところに着目すべきというインサイトが得られるかと思います。
新市場なら曖昧さが許容されるのではないかという話
この長期的なストーリーに対して、短期的には全体のパイからすると小さく見える上図の三日月の部分(=新しい売上機会の創出)から市場が立ち上がるのではと考えております。
もちろん程度問題はあるので、生成AIによって生産性が短期で劇的に向上している領域(コード生成等)もあるので、全てがこの通りにいくとは限りません。しかし、少なくとも一つの切り口として生成AIによる新しい売上機会の創出の方が市場が立ち上がりやすいという側面はあるのかなと思います。
前述した内容ではございますが、現状の生成AIの精度はまだ完璧とは言えません。その中で、「既存の人間の仕事を代替しよう!」「生成AIによって生産性が100倍に!」とは言ってもなかなかそうはいかないのが現状です。(以前弊社開催のトークイベントでも、Spiral.AI社佐々木さんが顧客と対峙した際に「いやいや、じゃあ僕と勝負して精度を確認させろ」という会話になったというエピソードを仰ってました)。
繰り返しにはなりますが、これは生成AIが人間のタスクを100%再現することはまだまだ難しいということに起因します(=70点~80点しか出せない)。
そこで、発想を変えてみます。
人間が今やっている仕事やタスクと比べるから100点を求められるのであって、人間が現在やっていない仕事だとどうでしょうか。人間という比較対象がないので、以下のようなビジネスやタスクはある程度曖昧さが許容されるのではないかというのが私の仮説です。
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人間がそもそも面倒でやっていなかったビジネス・タスク
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人間がやるとコストが折り合わず成立しないビジネス・タスク
人間がそもそも今やっていないビジネス・タスクに生成AIを持ち込むことで、今までなかった新市場を切り開くことこそが黎明期に生成AIをビジネスを興す際の重要な視点なのではというのが私の見解です。
生成AIによる勃興する新市場の事例紹介
本章では、上記までの議論を踏まえていくつか海外の事例を交えながら「曖昧さが許容される新市場」とはどう言ったものなのか論じていきます。
EvenUp | 人身傷害事件の事故記録の非構造データを保険会社への請求書に変換
まず初めに紹介するのは、生成AI×Vertical領域の代表例としてしばしばメディアでも紹介されているEvenUp社です。様々なメディアで擦られまくっている同社ですが、このニュースレターでは違う視点から解説してみます。
EvenUpの事業概要
EvenUpは、生成AIを活用して人身傷害事件の保険会社等への補償金額の請求書作成業務を効率化するスタートアップで、人身傷害事件とは、交通事故など他者の行為によって身体的な傷害を受けた場合に生じた法律上の紛争を指します。業界に精通している方であれば比較的ニッチな市場だと捉える方も少なくない領域と言えます。
米国では毎年、数百万件の人身傷害事件が和解に至っていますが、裁判に持ち込まれるケースは少なく、その多くは非公開で処理されています。そのため、弁護士は和解金の適正額を推測するしかなく、結果として被害者が十分な補償を受けられないことが多いのが現状です(数多くの補償案件に対応している保険会社との情報の非対称性がある)。
加えて、以下の理由から弁護士サイドとしても腰を据えて取り組みにくい構造にある領域で、まさに「人間がそもそも面倒でやっていなかったビジネス・タスク」「人間がやるとコストが折り合わず成立しないビジネス・タスク」であると言えます。その結果、より高額な補償を求めるインセンティブが働きづらいために上記のような現状にあると考えられます。
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労力と時間の割に報酬が限定的
複雑な法的評価と文書作成が必要で、長期にわたる交渉や訴訟準備が求められ、他の高収益な領域の案件の方が魅力的になる。 -
複雑な医療記録の分析が必要
専門用語の理解や因果関係の立証など、医学的知識が求められる。 -
不透明な和解プロセス
9割以上の案件が非公開の和解で解決されるため、適切な賠償額の判断をするための過去データが不足している。
それに対して、同社は弁護士事務所に以下のアプローチで保険会社への請求書作成業務を自動化することで、弁護士がより低コストで、正確で、高速なアウトプットを出すためのサポートをします。それによってより多くの案件を弁護士が受けられるようになり、コスト削減だけでなく。目に見えて売上増加を実現する(=前述したマッキンゼーのレポートの図表の青い三日月部分の)サービスとなっております。
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AIによる医療記録の自動分析と要約
大量の医療文書を分析し、関連する傷害、処置、医療コードを抽出します。これにより、弁護士は数千ページの文書を手動で確認する必要がなくなり、1件あたり約15時間以上の時間の節約に貢献します。 -
大規模データに基づく適切な賠償額の算出
25万件以上の公開判決と非公開和解のデータベースを構築し、AIで類似案件を分析することで、より正確で公平な賠償額を提案します。これにより、平均して30%高い賠償金を獲得できるとしています。 -
高品質な請求書の自動生成
独自のデータにより構築された特化型LLMを使用して、抽出された医療情報や損害額をもとに、より説得力のある請求書を自動生成します。
人間がやらないニッチに見えるタスクの可能性
EvenUpは、人身傷害事件の処理というニッチな領域ながら、上記に述べた付加価値がすでに多くの弁護士事務所に刺さっており、2023年には325M $(=約480億円)の評価額で次期ユニコーン候補となっております。
繰り返しになりますが、EvenUpは、既存の人間の仕事との比較で市場を捉えるのではなく、「人間がやりたくないタスク」にも目を向けることが、生成AIスタートアップでグロースする秘訣であると示唆を与えてくれる会社かなと思います。
ここで「人間がやっていないタスク」と繰り返し主張しているが、「保険会社への請求書作成は人間が今もやっている仕事じゃないか!」と言い返したくなる読者の方もいると思います。
確かに、請求書の作成は人間が目視や手作業も駆使しながら今もやっている仕事です。真正面で考えたら人間とアウトプットの精度を争うことになると思います。
しかし、この市場については「人間がやっていないタスク・領域まで生成AIが染み出して処理している領域」と言えると思います。
それを証明するのがEvenuUpの導入によって補償金の金額が平均30%向上しているというデータです。従来の人身傷害事件の補償金請求書作成業務では、以下の考えから獲得金額増加のための努力をしていなかった可能性があると考えられます(あくまで素人の私の憶測です!笑)。
「大量の非構造化データの読み込みが億劫」
「どうせブラックボックス化されているから保険会社が納得する金額感で請求すれば良いのではないか」
これらのタスクを少し抽象化して整理すると「人間が手を抜いていて50点のクオリティーまでしかやっていなかったタスクを、人間の守備範囲外までカバーすることで生成AIが80点くらいまで引き上げてくれる」というものだと思います。
従い、EvenUpが対峙する領域も「人間がそもそも面倒でやっていなかったビジネス・タスク」と言え、それがグロースの秘訣であると考えられます。
フォーマット変換が人間は面倒だという話(再掲)
ここで初回のニュースレターの内容と関連づけてEvenUpのビジネスを眺めてみて、この章は終わりたいと思います。
前回も述べました通り、人間がやりたくない・面倒だなと思うタスクのほとんどがフォーマットの変換を伴うものです。以下にざっとフォーマット変換が伴う面倒ごとを列挙してみます。
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事業のアイディアをピッチ資料に変換する作業 <テキスト→図表>
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イベントレポート作成 <会話(音声)→テキスト>
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家計簿の作成 <レシート等の画像→図表>
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建築デザインの3Dモデル作成 <画像(手書き)→画像(デジタル)>
EvenUpが対峙している領域も漏れなくフォーマット変換の面倒ごとに対峙しています。事故に関する情報を述べたテキストデータ、医療データ、過去の和解例などありとあらゆるフォーマットの非構造化データを保険会社への請求書というフォーマットに落とし込むという変換作業をEvenUpが代行してくれます。
人間による変換の工数が大きい領域ほど効果は大きく、EvenUpは上手く生成AIと既存市場がはまって新たな売り上げを創出した良い例だと思います。
皆さんが所属or対峙する業界のワークフローで面倒なフォーマット変換はどこに転がっているかを考えることこそが、生成AIが相性の良い領域を見つける第一歩かなと思います。
また、これは全然別の論点になりますが、EvenUpがグロースできた理由は、面倒なフォーマット変換が発生するワークフローに入りこんだことに加えて、チャットボットを提供するスタイルではなく、請求書を成果物として提供する形をとっているのもミソだと思っております。ここら辺は2-3ヶ月後に配信を予定しているコンテンツ『生成AI × 大企業 〜導入した生成AIチャットbotはなぜ使われないのか〜』でご説明させていただければと考えております。
Abridge | 医者と患者の会話データを構造化されたテキストデータに変換
5分で読めると謳っておきながら、だいぶ長くなってしまったので、こちらの例はさくっと紹介させていただきます。Abridgeは、ヘルスケア領域で伸びているスタートアップで、こちらも人間がそもそも面倒でやりたくないタスクに生成AIを持ち込んだ事例かなと思います。
やっていることは以下で、これもEvenUpと同様「人間がやっていない」若しくは「人間がやりたがらない」タスクを生成AIによって自動化するというものです。
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医者と患者の会話データから診療ノートを生成
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生成された診療ノートを電子医療記録(EMR)に自動で統合
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患者がアクセス可能なスマホアプリに情報が統合
Abridgeのサービスを導入していない医師は、時間をかけてノート作成作業をしなければいけず、医者にとって診療ノートの作成は重いタスクでできれば「人間がやりたくないタスク」です。加えて、面倒であるが故に本来ノートに記載すべき情報を記載していないというケースも往々にしてあることが想定され、本質的には「人間が現在やっていないタスク」と整理することもできると思います。
それに対してこのノートの作成作業を生成AIが自動化してくれれば、医者は面倒な業務から解放されます。また、仮に多少文章の生成作業にミスがあって70点~80点の成果物だったとしても、患者に展開する前に修正すればよく、そもそも70-80点まで仕上げてくれるだけでも大分ありがたいはずです。
今まで患者との会話ログを漏れなくデータとして保管することが難しかった同市場ですが、Abridgeのようなサービスがあれば今まで見えてこなかった非構造化データも絡めたデータ活用が進むと考えられます。この考え方は医療の現場だけでなく、保険、金融、人材、営業と様々な領域で活かせるものだと考えられます。
フォーマット変換という観点では、音声×〇〇というのは可能性のある市場だと思います。人間は、脳内にある情報というフォーマットを声というフォーマットに変換することにはそこまでハードルはありませんが、それを視覚化する(=テキスト、図表等)を極端に面倒に思います。なので、人間が楽に感じるフォーマット変換「脳の情報」→「声」を人間にやってもらって、「声」以降のフォーマット変換は生成AIにやってもらうみたいな役割分担が市場に浸透してくるとかなりAfter 生成AIの世界に近づくかなというのが私の考えです。
尚、弊社からも生成AIスタートアップ10社ほどに投資させていただいておりまして、具体的に生成AI×○◯領域でフォーマット変換に革命を起こす事例も他にいくつかございます。但し、多くの投資先がステレスで活動している背景もあり、公開できない情報も多く、本ニュースレターでの投資先の紹介は現段階では基本的に控えさせていただきます。
おわりに
Chat GPTの登場以降、VCとして生成AIのビジネスを追ってきて感じた黎明期における市場へのエントリーの秘訣の一つを今回ご紹介させていただきました。
人間の仕事を代替!みたいな話は技術的にも、代替される人間側の心理的にも、やっぱりもう少し先の未来の話なのかなという気がしてます。
生成AIスタートアップを始める場合でも、大手企業やスタートアップで生成AIを既存のワークフローに組み込む場合でも、「人間がやっていないタスク」に生成AIを活用できないかというレンズで見ていただけるとヒントが見えてくるかなと思います。
その際、人間が面倒でやらないタスクというのはフォーマット変換が伴うということを念頭に入れていただければと思います。
今回生成AIと相性の良い市場の見つけ方の一つ目を紹介しましたが、次回は2つ目として『生成AIと相性の良い領域の見つけ方② 「教科書がある市場を探せ」〜正解の定義づけと自由度が重要〜』をお届けする予定ですのでお楽しみに!!!
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